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2007年3月 5日 (月)

3・4篠山ABCマラソン大会完走記~傷だらけの完走~

<通算14回目のフルマラソン、そして、5回目の篠山 >

 今年最初のフルマラソンは、ぼくにとっては、通算14回目、そして、篠山ABCマラソン大会に関しては、2003年に初参加、以来、毎年連続して参加し、今回が5回目になります。
 今回も、レースに向けて、3時間59分以内での完走に向けて、走り込まなければいけなかったんですけど、今回は走り込む時間をなかなか創り出すことができず、今年に入ってからは、月間200km走り込めない月が続きました。明らかに走り込み不足。しかも、レース1週間前に、両足のふくらはぎを痛めてしまいました。単なる筋肉痛と思っていたんですけど、とうとう、レース当日まで痛みは残ってしまいました。

<起床そして出発 >

 レース前夜は、ほどよく眠ることができ、レース当日、午前5時に起床。朝食をたっぷり摂って、午前7時過ぎ、出発しました。

<篠山到着、そしてスタート >

 午前9時頃、篠山口駅に到着。改札口を出たあたりから、会場行きのバスに乗るべく並ぶ長蛇の列ができていました。会場には午前9時30分頃到着。いきなり、どこかで聞いたことのある甲高い声が。声の主は、かつみ・さゆりのさゆりさんの声でした。開会式前のプレイベントにご両人が登場。そこで、「エイ・エイ・ボヨヨ~ン」のかけ声。そして、午前11時、スタートの号砲が鳴りました。

<スタート~5km >

  今回も、8000人を超える参加者。スタートの号砲が鳴っても、なかなか走り出すことができず、スタートラインをまたぐまでに3分38秒かかりました。いきなり、ふくらはぎの痛みを感じ、思うように足が上がりません。しばらくがまんして走っていると、またしてもさゆりさんの甲高い声が。さゆりさんは、ランナー1人1人にハイタッチをしてくれました。さゆりさんの甲高い声と共に、ハイタッチによって、「気」が伝わってきました。この時だけは、ふくらはぎの痛みを忘れました。これをきっかけに、少しずつ、足が上がるようになってきました。5km地点を31分19秒で通過。スタートラインをまたぐまでにかかった時間を除くと、実質27分41秒で走ったことになります。

<5km~10km >

 5kmを過ぎて、早くも汗が出てきました。汗が目に入って目が痛い。今回の篠山は、本当に暖かい。こんなに「暖かい篠山」を走るのは、初めてのことです。 沿道の子供たちとハイタッチをするたびに、パチンという音、「がんばってください」という声援とともに、「気」が伝わってきます。ハイタッチ効果もあって、10km地点を59分14秒で通過。この5kmは、27分55秒で走ったことになります。

<10km~15km >

 10km地点を過ぎて、最初の給水をとりました。今回は、最高気温が20℃を超えるということで、早めに給水をとりました。このあたりから、暖かいというより、暑いと感じるようになりました。15km地点を1時間27分45秒で通過。この5kmは、28分31秒で走ったことになります。

<15km~20km >

 15km地点を過ぎて、2回目の給水。給水ととらないと、脱水症状を起こす危険性があるので、ある程度、とらなければいけないけれど、とりすぎても、おなかがたぷんたぶんになってしまう。給水のとり加減が難しい。20km地点を1時間57分51秒で通過。この5kmは、30分6秒で走ったことになります。ペースが落ちてきてしまいました。

<20km~25km >

 いつもなら、20km地点で、道路のど真ん中に有森裕子さんが立っていて、ハイタッチをするというのが、篠山のワンシーンになっている。しかし、あたりを探してみても、有森さんの姿を見つけることができず。中間点を2時間5分11秒で通過。しばらくして、やたら元気な女子学生らしき一団を発見。大きな声を張り上げて、やたら元気がいいのです。そんな女子学生らしき一団の1人1人とハイタッチ。甲高い声と、パチンという音と共に、「気」が注入されました。しかし、それからしばらくして、不覚にも、マンホールの境目のあたりでつまずいて、転んでしまいました。この時、左膝や左肘、そして、ついた両手の手のひらを軽くすりむいてしまいました。「大丈夫ですか?」と声をかけられ、「大丈夫です」と答えるのが精一杯。25km地点を2時間30分22秒で通過。この5kmは、32分31秒で走ったことになります。

<25km~30km >

 25km地点を過ぎたあたりから、気分が悪くなり、それまでとっていた給水などをはき出してしまいました。このあたりから、ほとんど歩きに近いペース、そして、とうとう歩いてしまいました。ペースを上げるとまた吐き出してしまうのではないかと、走れなくなってしまったのです。歩きながら、体力の回復を待つという状態が続きました。30km地点を3時間13分38秒で通過。この5kmは43分16秒かかったことになります。

<30km~35km >

 30km地点を過ぎても、歩いて体力の回復を待つ状態が続きました。この頃になると、沿道でハイタッチをしてくれる子供たちにこたえる余裕もなくなっていました。36.3km地点の最終関門の閉鎖時間(レース開始4時間20分後)のことが気になり始め、少し走り始めました。しかし、また気分が悪くなって吐き出してしまい、また歩いて体力の回復を待つという状態に戻りました。35km地点を4時間5分49秒で通過。この5kmは、52分11秒かかったことになります。

<35km~40km >

 36.3km地点の最終関門閉鎖まで、残り時間が少なくなってきました。何としても、この関門は時間内に突破するという思いだけで、また走り始めました。そして、制限時間まで、およそ2分の余裕を残して、36.3km地点を通過。ここでホッとしてしまったのか、歩く足取りすらおぼつかなくなってきてしまいました。目を開けているのもしんどいのです。両手両足から、力が抜けていき、体の踏ん張りがきかないのです。もしかしたら、このまま気を失って、倒れてしまうかもしれない。もうやめようかという思いが脳裏をよぎりました。ここで、ドリンクを飲むことができ、これがすごく気持ちよかった。歩く足取りはしっかりしてきました。ただし、走ろうとすると、両足首がつって変な方向に曲がって思うように走れません。気がつくと、いつのまにか、ぼくが最後尾になっていました。ぼくのすぐ後ろには、大会用の車、収容バスが、ぼくのペースに合わせるかのように、ピッタリとついてきているのです。その車の音が、プレッシャーにもなり、その一方で、「ずっと見守っているから頑張れ」というエールにも思えました。「どんなことがあっても絶対に、収容バスには乗るもんか!」その思いだけでゴールに向かっていました。しかし、現実の問題として、ゴールの制限時間5時間10分までにゴールすることがかなりきびしくなってしまいました。40km地点を5時間9分48秒で通過。この5kmだけで、1時間3分59秒かかりました。

<40km~ゴール >

 40km地点を過ぎてすぐに、ゴールの制限時間5時間10分になってしまいました。「制限時間を過ぎましたので、収容バスに乗るか、どうしてもゴールまで行きたい方は、ゼッケンをはずして下さい。」という、係員さんのアナウンスに、ゼッケンをはずすことを選択。と同時に、交通規制が解除され、車の行き来が激しくなってきました。「どんなことがあってもゴールまでたどり着く」その思いだけでゴールに向かいました。残り1km、最後は走って終えたい、という思いから、また走り始めました。途中、両足首がつり、びっこを引きながらも、ゴールに向かいます。時折、沿道の人たちから「頑張って」と声をかけられながら、5時間28分8秒、ゴールしました。

<レース後 >

 制限時間を過ぎてしまっていたので、今回の記録は、非公式記録になります。しかし、完走記念メダルをいただくことができました。すぐに荷物預り所へ、預けていた荷物を受け取りに行きました。すると、撤収作業が進んでいる中、係員さんが待っていて下さっていました。篠山の人たちは、本当に温かかった。感謝の気持ちいっぱいで、荷物を受け取ることができ、帰路につきました。

<完走した感想 >

  今回は走り込み不足がすべてでした。レース途中で転んですりむいて、25km過ぎからスタミナが切れ、何度も吐き出し、最後の5kmは何度も両足首がつり、最後はびっこを引きながらの、傷だらけの完走でした。次回はしっかり走り込んで、今回の借りを返すとともに、3時間59分以内で完走したいと思います。


 4日のRUN:42.195km
 3月の走行距離累計:52.195km

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